2006年08月20日

◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十七)

◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十七)


◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十七)

◆◇◆素朴で雄大な「火のまつり」、夏の夜空を焦がす「松上げ」

 「松上げ」は、全国的に分布する柱松行事(精霊供養のための行事、全国にはさまざまな形態の柱松行事が残っている)の一形態とされ、京都市内では洛北の花背(はなせ)、広河原(ひろがわら)、久多(くた)、雲ケ畑(くもがはた)の山村(旧若狭街道沿いの集落)(※注1)に古くから伝わる愛宕信仰(※注2)の祭りで、秋の収穫を前に行われる、素朴で雄大な「火祭り」である。

 火の神様である愛宕山(愛宕明神)への献火行事として、火災予防、五穀豊穣、林業振興祈願のため、同時に先祖の供養と盆の精霊送りも兼ねて行われ、山里の人々総出の催しである(愛宕信仰による献火の行事だが、長い年月の間にいつしかお盆の送り火とも接合して、山里の夏の終りを飾る火祭りとなって定着した)。地区の松上げが終わると実りの秋ももうすぐだ。

 花背(はなせ)、広河原(ひろがわら)の松上げは、灯籠木場(とろぎば)と呼ばれる河原の一角に、小さな松明を竹にさして立てた多数(約千~千五百本)の地松を一斉に点火し、威勢のいい掛け声とともに、鉦や太鼓が鳴るなか、直立させた高さ約二十メートルの灯籠木場(とろぎ・檜丸太)の先端にとりつけた大笠めがけて下から上げ松といわれる火をつけた手松明を投げ上げ、点火させるという壮観な火の行事だ。

 松上げの後、「ヤッサコサイ」とヤッサ踊りや江州音頭を踊る。久多(くた)宮の町に伝わる松上げも同じく約十メートルの高さの柱松に手松明を投げ上げるもので、地元では「チャチャンコ」と称し、地蔵盆の行事として行われている。

 雲ケ畑(くもがはた・加茂川の源流で知られる林業の集落)の松上げは、雲ケ畑出谷町と中畑町の二か所で行われ、花背や広河原、久多の松上げの形態とは異なり、百束余の真割木の松明を文字の形をした三メートル四方の櫓にくくりつけ点火するもので、その文字は毎年異なり、点火されるまで秘密にされている。

 火にかかわる祭りは、霜月から小正月にかけて行われる「冬の祭り」(ドンド焼き・左義長など)と、盆行事にかけて行われる「夏の祭り」(迎え火・送り火など)に、大きく分けられる。火は古来から神聖なものとして取り扱われてきており、火に対する畏怖の念は信仰の対象として、さまざまな祭祀祭礼に大きな影響を与えてきた。

 京都に残る火祭りにおいても、さまざまな形のものが現在受け継がれている。「広河原松上げ」以外にも、例えば、「大文字五山送り火」「鞍馬火祭」「岩倉火祭」などがある。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)小浜を起点として、南川を遡上して名田庄村に入り、周山街道の京都府京北町、美山町を経て、愛宕神社へと「松上げの道」がみられる。さらにこの道は、奈良東大寺に至るといわれている。

(※注2)京都の「松上げ」は、火の守護神として知られる、京の都・洛西の愛宕神社信仰の祈りが込められた行事だ。火は人の生活に大切な関わりをもつとともに、火の恐ろしさも知っており、火の神秘は限りない人々の心に敬虔な祈りを生んだ。火の守護神・愛宕信仰は人々の生活の中で次第に広まる。


スサノヲ(スサノオ)


同じカテゴリー(スサノヲの日本学)の記事画像
◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎(三)
◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎(二)
◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎(一)
◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十八)
◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十六)
◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十五)
同じカテゴリー(スサノヲの日本学)の記事
 ◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎(三) (2006-08-29 00:07)
 ◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎(二) (2006-08-27 00:35)
 ◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎(一) (2006-08-23 22:24)
 ◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十八) (2006-08-21 22:34)
 ◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十六) (2006-08-18 00:00)
 ◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十五) (2006-08-17 00:00)

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 10:21│Comments(0)スサノヲの日本学
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。