2006年06月29日

◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(二)

◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(二)


◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(二)

◆◇◆「夏越の祓(水無月の祓・六月の晦の大祓)」と「禊祓」の神道思想、茅の輪くぐりと和菓子の水無月

 早いもので、今年も、もう六月(半年)の半ばである。一年の折り返し、節目時の到来である。京都や奈良のそこここの神社に大きな茅の輪(ちのわ)を見かけるのも、この時期である。

 6月30日に、このイネ科の多年草「茅萱(ちがや)」で作られた茅の輪をくぐって半年間の穢れを祓い息災を祈る神事が、「夏越の祓(なごしのはらえ)」だ。

 この夏越の祓は「水無月の祓」とも呼ばれ、「水無月(みなずき)の夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶというなり」と平安時代から詠われていた。

 すでに天武天皇の時代から六月晦の日に、内裏朱雀門に天皇以下百官が集まり、茅の輪の祓物をくぐって邪気を払ったとされている。

 1月から6月までの穢れを祓った後、7月から12月の残り半年分の穢れを、以前は12月大晦日に「年越の祓」として、宮中や各地の神社で大祓が執り行っていた。

 日本では古来より、清浄を重んじてきたが、日々の暮らしの中で知らず識らずのうちに不浄に触れ、過ちを犯すこともあった。清浄であるべき身や心は、こうした罪や穢れによって濁ってしまうと考えられていた。

 そこで1年に2度、心身のこうした罪や穢れを祓い清めて、直く正しく清々しい神ながらの人間生来(しょうらい)の姿に立ち返り、気持ちも新たに明日の生活がより良いものとなるようにとの祈りを込めて行う禊の神事が大祓なのである。

 ところが年を追うごとに「年越の祓」(「除夜祭」ともいわれる)の行事より、6月の夏越の祓だけが盛大に行なわれるようになって行く。

 来るべき夏の暑さや、木の芽立ちの疲れに備えて、知らず知らずのうちに人々の間で、夏越の祓いは節目の風習としてとして、定着していくのである。

 この夏越の祓では、「茅の輪」をくぐって禊をし自らを清めたり、身代わりの形代(紙を人の形に切り抜いたものなど)に託した罪や穢れを川や海に流して祓い清めたりする。

 また人間だけでなく、牛や馬なども海水に浸かる。神社によっては名前や年齢を書いた人形をそのまま海や川に流すのではなく、灰にしたり、茅で包んだりするなどして流すところもあるそうだ。

 6月(旧六月)は「水無月(みなづき)」と書くが、ちょうど梅雨時分のこと、水が無いわけはない(「無」は「な=の」の「万葉仮名」)。

 もとは「水の月」であり、田んぼに水を注ぎ入れ田植えを始める月であることを示している。すると、10月(旧十月)の「神無月(かんなづき)」は、「出雲に神々が集まり、他国には神がいなくなる月」ではなく、旧十月は収獲祭を行ない神に感謝を捧げる月という意味の「神の月」であったのであろう。

 ちなみに、この6月にはその名も「水無月」という和菓子(生菓子で三角の外郎生地に小豆をのせたもの。水無月の三角形は氷室の氷を表し、小豆は悪霊払いを意味を表しているそうだ。6月朔日に氷室の氷を口にすると夏痩せしないといわれた)が京都で知られている。

 和菓子の「水無月」は、6月30日の夏越の祓(なごしのはらえ)に食べるものとされ、これによって災いを祓い、ひと夏の無事息災を祈ったのである。


スサノヲ(スサノオ)


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