2006年07月07日

◆七夕の起源、「棚機津女」と「牽牛織女」(三)

◆七夕の起源、「棚機津女」と「牽牛織女」(三)


◆七夕の起源、「棚機津女」と「牽牛織女」(三)

◆◇◆七夕の起源:(3)、「乞功奠(きこうでん)」の風習

 中国には、牽牛・織女の二星を、農耕と養蚕・染織を司る星として、巧(たくみ)になることを乞(こ)ひ祀る(まつる)「乞功奠」(きこうでん)と呼ぶ古くからの風習(※注1)があり、これが平安時代、貴族の間でも行なわれるようになる。

 清涼殿(内裏の御殿のひとつ)の東庭に莚(むしろ)を敷いて机(き)を置き、酒、肴、果物、菓子などと共に、五色の糸を通した七本の針や布などを供え、夜通し香を焚き、燈明をあげ、織姫にあやかって、裁縫や機織(はたおり)の上達を祈る祭りであった(※注2)。

 その後、琴や琵琶なども置き、歌舞音曲などの技芸上達を願ったり、七つの硯(すずり)に、芋の葉に生まれる露を集めて墨をすり、梶の葉に歌を書いて、詩歌・文字の上達を祈るなど、次第に華やかなものとなっていく。

 今も京都御所北隣の冷泉家(れいぜいけ)の行事として、袿姿(うちきすがた=平安時代の女性の礼装)に装った歌道の門人たちによって古式ゆかしく乞巧奠(きこうでん)が行なわれ、座敷の南庭には「星の座」に供える品々が並べられる(※注3)。室町時代以降、民間にも広まったという(※注4)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)「乞功奠(きこうでん)」のような風習は、おおむね、奈良時代に中国から我が国にも伝えられました。その頃、この行事は「乞巧奠」と呼ばれ、「巧みであることを乞う祭典」という意味です。それは、女たちだけで営まれる女の祭りでした。現在のように、短冊をつるした笹竹を立てるというだけのものではなく、女たちは美しい衣装をまとい、ある限りの装身具を身に着け、庭にしつらえた台の上には、酒や瓜や餅などを供え、日頃自分たちが作った手仕事の作品を供えました。そして、香を焚いて天を礼拝し、手仕事の上達を祈りました。その上で、女たちは、七本の針の孔に色糸を通しました。

(※注2)上田正昭氏(京都大学名誉教授)によると、「私も庭園の文化に道教の影響があることは実感している。(中略)キトラ古墳の天文図に関連して興味深いのは七夕の信仰だ。七夕の信仰の起源は中国だが、北朝鮮の徳興里古墳の壁画にも、天の川と牽牛と織女が描いてある。五世紀初めには高句麗に七夕の信仰が入っていたことは確かだ。日本ではどうかというと、持統天皇の五年(六九一年)から宮中で年中行事として七月七日に宴を開いている。これは七夕に間違いないと思っていた。そして梅原さんも指摘されているが、万葉歌人の柿本人麻呂の歌集の中に七夕の歌がある。六八〇年の歌。ひょっとしたら、今回見つかった苑池で七夕の宴が開かれて人麻呂たちも参加していたのではないか。」と話す。

(※注3)七夕の行事は、公式の宮中節会としては失われていくが、宮廷貴族の間では個々の家において、その年中行事として続いていく。藤原俊成・定家以来、和歌を家職とし、その伝統を今日まで伝えている冷泉家では、現在でもなお、年中行事として、乞巧奠を行っている。

 もとより和歌の家のこととて、夜空の星に祈るのは和歌の上達であり、織物や縫い物などの女性の手仕事の品を供えるのではなく、星を祭る祭壇に向かって、自らが作った和歌を朗詠するという。

(※注4)江戸時代になると、七夕の行事は民間にも広がる。この頃、「習字の上達を祈願して」笹に願いを書いた短冊をつけて飾る風習が生まれたようだ。

 また、乞巧奠の流れを汲む七夕は、江戸時代に定められた五つの節供(1/7七草(人日)の節句、3/3桃(上巳)の節供、5/5端午の節供、7/7七夕の節句、9/9重陽の節供)のうちの一つとして定着し、武家・町人の社会に広がります。一方、農村では、七夕は棚機津女の流れを引いて、水にかかわる農耕儀礼の性格を持ち、更にそれに盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事としての要素が加わる。

 日本古来の伝承(棚機女=たなばたつめの伝説)や風習(穢れを祓う行事)と、中国の行事(乞巧奠)がうまく混ぜ合わさったからこそ、七夕はいまでも日本の各地にさまざまな形で、大切に伝えられているのかもしれない。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 09:00│Comments(0)スサノヲの日本学
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